2008年12月8日月曜日

フィジーへ行きましょう

来年2月にフィジーダイビングが計画されています。
ロロアタもゆっくりダイビングを楽しめるリゾートでしたが、フィジーも期待が高まります。
個人的にフィジーには思い入れがあり、いつか訪れないといけないと決めていた場所です、こんなに早く実現できるとは思ってもいませんでした。
もしアメリカ企業に就職が決まっていなければ、フィジーに骨を埋めていたかも知れないので、将来何時の日か、その地に行きたいものだと、ずっと考えていました。

フィジーとはどんなところか ?


米国中央情報局(CIA)は全世界の国々についての最新情報をネットで公開しています、以下は客観的なフィジーについての情報です。

1.人口:931、741人 (2008年7月現在)
2.平均寿命: 男 68歳 女 70歳
3.人種: メラネシア人 57.3% インド人 37.6% その他 5.1%
4.宗教: キリスト教 53% ヒンズー 34% イスラム 7%
5.公式言語: 英語、フィジー語
6.識字率: 93.7%
7.教育: 13年 (小学校から高等教育まで)
8.GDP: 50.79億ドル
9.GDP内訳: 農業 8.0% 産業 13.5%  サービス 77.6%
  労働人口内訳: 農業 70% その他 30%
10:国家予算: 収入 13.63億ドル  支出 13.76億ドル
11.一人当たりGDP: 3900ドル
12.失業率: 7.6%
13.携帯電話使用数: 437,000
14.インターネットユーザー:80、000人
15:HIV感染者数:600人


2006年、QARASE首相が軍のクーデターで追放され、海軍大佐 BAINIMARAMA氏が暫定大統領に就任して現在に至っています。
人口の多数を占めるのはフィジー人(57%)だが、経済を握っているのはインド人(37%)なので建国以来、人種間の対立が続いている。 フィジーは英国の植民地だった時代にインド人を労働者として移住させたことに由来している。

我々が滞在する予定のラキラキについての観光情報は、このURLで得られるので参考にしてください。
動画もあります 動画はこちら



そもそも、私がフィジーで働こうと思っていたのは、トンガ王国にあった最初の日本商社、伴野商会(後の伴野通商)でした。
 伴野商会は1930年代に、伴野権吉と義弟の長島亀代造によって創立された商社(商店)で、主に日本の雑貨商品とオーストラリアの食料品(輸入販売)を扱うファミリー・マートのような性格の流通業だったと思われます。資本金は33万円でスタートし、ニュージーランドを始めフィジ-やサモアにも支店を開設していたのですが、日本軍の中国侵略などで西欧の目は日本の民間企業に厳しかったこともあって、思いのままにはいかなかった、と考えられます。

何時頃なのか不明ですが、フィジー本島のVITI REVU北方(ラキラキ方面)に金、銀、銅などの鉱脈が発見され、それらの採掘が始まったのです。
現在でも、日本の日鉄鉱山(Nittetsu Mining)が採掘権を持ち開発を続けているようですが、伴野商会はこれらの鉱物資源や砂糖などの生産物を日本向けに輸出していました。
フィジーでは産業が砂糖など農産物が中心で、それらを買い付け、外貨を稼ぐ産業は少なく、伴野商会は現地の人々に受け入れられ、高い評価を受けていたのです。
伴野商会の社員達は現地に溶け込み、「バンノ」と言えば誰でもが知っていて、バンノを通じて日本人に好感をもたれたと言う記事が南洋諸島に関する新聞や雑誌に何度も登場しました。
このような記事を目にしたことがきっかけで、伝を頼ってこの会社を探し当て、頼み込んで受験、内定をもらいました。 
残念ながら、私は、その後事情があり伴野通商への就職を諦めアメリカの会社に入った訳です。
この度フィジーに行くことになり、改めて情報を調べてみた結果、なんとラキラキ・エリアはこれらの金鉱脈の回廊に位置することが分かり、びっくりしているところです。
伴野通商はその後、業績が悪化し安宅産業、兼松などに吸収されて消滅しました。
もしあのまま伴野通商に入っていたら、きっと、現地に土着化して多くの子孫を作っていたかも知れません。